この世界は、狙われている。

 闇があった。

 ただただ、深い闇が。ひたすら濃密な闇が。

 辺りには火の灯された古めかしい燭台が無数に並び、盛大に火の粉を散らす井桁組の薪までもが設置されている。が、奥行きも不確かなその空間に蔓延る闇はなお暗く、如何なる光であっても決して深部まで暴くことが叶わない。何人であれ見通すことを為し得ない。

 だが、それでも鋭敏な者ならば気づくだろう。

 闇のなかに息づく夥しい人の気配を。一様に黒い頭巾とマントで己が容姿を秘した彼らが、今や遅しと『何か』の訪れを待ち続けていることを。

 異様な熱気が渦を巻いていた。

 否応もなく高まる期待と緊張で、今にも空間がはち切れそうだった。

 そう、黒ずくめの彼らが身の内より発する昏き情念、それこそが周囲の闇をより一層際立たせているのだ。外界にまで洩れ出し、現実を侵蝕する想い──まさに亡者のそれといえた。

 しかし、ほどなく。

「おお……っ!」

 居並ぶ亡者たちがどよめき声をあげる。彼らの視線が向かう先、周りから一段高くなった演壇のような場所に、待ちに待った相手がようやく現れたからだ。

 やはり頭巾とマントで素顔を隠したその人物は、まず満座の観衆へ鷹揚な仕草で静まるよう促し、次に一拍の間を挟んだのち片手を高く掲げてみせた。

 同時、もう一方の手はなぜか、己がマントの胸元を掴んでおり、

「ビ────────キ────────ニ────────ッッッ!」

 の大音声と共にいきなり、そのマントを自ら剥ぎ取ってみせたではないか。

 たちまち巻き起こる物凄まじい「ビキニ」の唱和。そして、やはり次々に脱ぎ捨てられてゆく黒装束。幾枚ものマントが宙を舞い、その下から現れたのは……あぁ、なんということだろう! ビキニだ! 彼らは皆、ビキニだ!

 未だ首から上には頭巾を被ったまま、しかしその身体に纏っているのは、揃いも揃って誇らしげにビキニ一丁! 女ばかりか男までいる! 老人や子供まで季節外れの極限クールビズ!

 彼らはこの世でもっともおぞましい存在──『ビキニスト』だったのだ!

「親愛なるビキニストの諸君! 今宵はよく集まってくれた!」

 壇上のビキニ頭巾が朗々と声を響かせる。洋上迷彩カラーのビキニを纏った肢体は、瑞々しく張りがある若い女性のそれ。スタイルも抜群に良いため、一部の男性ビキニストたちが、慌てて下半身を手で隠す。彼らは邪悪だが紳士なのだ。決して羞恥心がないわけではない。

「初見の者たちも多いゆえ、まずは名乗らせてもらおう! 我が名はV! 『ビキニの、ビキニによる、ビキニのための新時代』を目指す当組織──『B∴B教団』の教主である!」

 Vと名乗った女教主の言葉に、集った同志たちが再びどよめく。

「おぉ、ではやはりあの方が……?」「ああ、そうさ! 数々の伝説を残すグレーター・ビキニストだ!」「グ、グレーター!? それほどの位階に!?」「事実よ。圧倒的なビキニ力をお持ちらしいわ」「我らのような凡夫からすれば、まさに天上人ということか……」「聞けば、大昔にビキニ姿の人魚の肉を食べ、以来、不死身となって現世に留まり続けているとか」「そ、その話、知ってます! 八百ビキニ伝説ですね!? そうか、彼女が……ッ」

 などと、かまびすしく囀る下級ビキニストたちを、Vはまたしても軽い仕草だけで静め、

「さて。今宵、予定になかった集会を急遽こうして開くに至ったのは他でもない。ワタシの口から諸君に取り急ぎ伝えねばならない報告があったからだ」

「? 教主様が直々に?」「いったい何かしら?」「教主様、その報告というのは?」

「うむ。喜べ、諸君。長らく不調に見舞われていた、我ら教団の麗しきビキニ神が一柱──ホーチャン・ザ・ツルペタロリーンが、先日、とうとう完全にご復活なされたッ!」

 Vがやおら両手を持ち上げた。それと同時、彼女にどこからかスポットライトが浴びせられる。いや、正しくは彼女の背後に鎮座する、布を被せられた壁のような物体に、だ。

 直後、壁から布が取り払われた。現れたのは、なんと特大のスクリーン。そしてその画面には、あられもない格好で恥辱に耐える、一人のいたいけな少女が映し出されていた。

「こ、これは!?」「ジーザス! なんて神々しいお姿なの!」「くっ、まさか超マイクロビキニとは……ッ」「犯罪的どころか、もはやマジ犯罪ではないか!」「さすがは教主様! 児ポ法など微塵も問題にしておられない!」「あぁ、巨乳もいいが、やはりロリもいい……」

 信者たちが恍惚とするなか、スクリーンの写真が切り替わってゆく。被写体の少女はいずれも同一人物だったが、身につけている神衣(ビキニ)がそれぞれ異なっており、シチュエーションもまた驚くほど様々だ。頬を赤らめながらホットドックを頬張るチューブトップビキニのロリ、恥ずかしげに俯きながらミルクを飲むレモンブラビキニのロリ、雌豹の如く四つん這いになったブラジリアンビキニのロリ──それらを拝んでいるうちいつしか、男性ばかりか女性ビキニストたちまでもが、切なげに下半身をもじもじさせ始めた。

「ふははははは! 驚いたであろう、諸君! 言っておくが一枚とてコラなどないぞ!」

「し、信じられない! 教主様はどのようにして、これらの写真をお撮りに!?」

「うむ! ビキニ神が不調続きだったことを理由に、『ねえねえ、ホーちゃん! この前いっぱい迷惑かけられたんだから、お詫びにビキニ姿で写真撮らせてよ!』と頼んだら、存外あっさりOKされて、ワタシ自身、超びっくりしたのだッ!」

「なんと、そのような経緯が!?」「さすがは教主様! 神の負い目につけ込むとは!」

「クク、今まさに流れは我らにあり! このぶんならば、教団で崇める他の女神たち──キッチャン・ザ・ペドナデシコーや、ファルチャン・ザ・ロリキョヌー、イインチョー・ザ・バインバイーンなどのお宝写真が手に入る日も、そう遠くはあるまいて……」

 とかなんとかやり合いつつ、ビキニ神の写真を教団総出でねっとり視か──愛でたあと、場の興奮が冷めやらぬ間に、再び教主Vが声高に信者たちへ謳い始める。

「諸君、ビキニとは宇宙である! 真理である! その力を完全に引き出すことが叶えば、世界を手中に収めることなど造作もない! ゆえに諸君、ビキニを着用するのみならず、ときに武器とし、食事とし、伴侶とし、険しき信仰の道を邁進して欲しい! ……無論、障害は数多ある! ビキニ根絶を目論む悪の秘密結社マッポ・ノ・テサキー! 公序良俗違反などの悪法に毒された蒙昧どもの蔑みの目! あと誤ってホッカイロを切らしてしまったときの冬ッ!」

「……確かに今の時期は死活問題よね」「ああ、ビキニの重ね着で凌ぐしかないな」

「だがしか~し、我らは屈さぬ! 負けぬ、退かぬ、脱がぬッ! ビキニと共に在り続け、必ずやビキニの太平を築いてみせる! ビキニの夜明けを迎えてみせる! さあ、我々の手でこの母なる地球(ほし)に最高に際どいビキニを着せてやろうではないか!」

 ズバッ、と効果音がつきそうなキレのいい動きで、教主Vがまたぞろ手を高く掲げた。信者たちもそれに倣い、一糸乱れぬ動作で挙手する。壮絶な大合唱が、闇の底を震わせた。

「世界に遍くビキニの布地を! ビ────キ────ニ────ッ!」

 この世界は……狙われている!

「……ん?」

 ある休日の昼下がりのこと。真冬にしては珍しい陽気のなか、いつもの顔ぶれで街に繰り出し、荷物を手に通りを歩いていたF/A-18ホーネットは、ふと足を止めて背後を振り返った。

 今、どこかで誰かの叫び声が聞こえた。

 いや、聞こえたような気がした。

 何ぶん一瞬のことだ。いまいち自信が持てず友人たちのほうを確認してみれば、うち二人はホーネットと同じように遠方を顧みていた。どうやら自分の空耳とかではないらしい。

「? なんでありますか、今の怒鳴り声? 待て~ッ、とか叫んでいたでありますが」

「さあ……せやけど、どことな~く聞き覚えのある声どしたなぁ」

 訊いたのはエフワンことF-1、応じたのはT-4ドルフィン。どちらも十代の少女で、前者は迷彩服を着た真面目そうな、後者は振袖姿のはんなりした、という非常に目立つ二人である。

 ちなみに、同様の評価をよく周りから頂戴するホーネットは、今日も今日とて義姉からの贈り物である縞模様の衣装を身につけていた。「なんかロックっぽい印象」とはやはり友人たち一致の感想で、ショーウィンドウに映る自分の姿は、なるほど改めて見ると確かに派手だ。

 が、何はともあれ、今は声の件である。ホーネットは傍らに佇む二人に向けて、

「──ねえ、今のって山田巡査部長の声じゃなかった?」

「あ、確かに。言われてみればそうかもであります」

「ほんなら、捕り物どすか? こんな真っ昼間から元気やわぁ」

 山田巡査部長、とは街の交番に勤務しているベテランの警官だ。本名は山田五郎。ホーネットたちとは何かと縁がある相手で、ときに本気で鬼ごっこを演じたりもする仲である。だからこそ、というべきか。ある種の違和感がつきまとい、ホーネットは更に首を傾げた。

「……変ね。確かあの人って、普段はかなり温厚な人なんでしょ?」

「らしいでありますな。なんでも地域の方々からは『菩薩の山田』とか呼ばれているとか」

「例え相手が悪人でも、笑みを絶やさず、慈しみも忘れず──をモットーにしてはるそうどすえ? 委員長はんが前に言うてはりました」

 とはいえ、世界は広いもの。そんな菩薩のような男を、毎度、泣く子も黙る鬼に変えてしまう凶悪犯、もとい凶悪恥女がこの界隈にはよく出没する。というか、その恥女こそがホーネットたちと山田巡査部長のあいだに、有り難くもない因縁を結んでくれた張本人なのだ。

 いつしかホーネットたち三人は、自然と場にいるメンバーの最後の一人──つまり、件の恥女にじ~っと不審げな視線を注いでいた。

「ん、なになに? みんなしてワタシのほうをガン見して?」

「……いや、今日はあんたが原因じゃなかったなぁ、と思ってさ」

「? 原因?」

 と訝しげに言ったのは、F-2バイパーゼロ。日米ハーフで金髪碧眼の、首から上だけならまあ、ごく普通の少女である。ただし、問題なのは首から下。そちらはごく異常の変態だった。

 驚くなかれ──なんとビキニなのである。

 もう一度言う。ビキニだ。

 同名の別の服とかではなく、どこから見ても水着のあれだ。

 今日は比較的暖かいとはいえ、往来で事もなげに肌色満載、しかも常日頃からそんな格好なわけだから、そりゃお巡りさんに目をつけられもする。ほとほと困った友人なのだった。

「けど、やっぱり珍しいわね。あの人がバイパー以外のことで声を荒げるなんてさ」

「あ、山田ポリスメンのこと? ん~、確かに言われてみればそうかもねー」

 何しろバイパーゼロと山田巡査部長は、本当に犬猿としか評しようがない間柄なのだ。片や前者は、下手すると日に数回も補導されて、挙句「交番はもうワタシの別荘だねー」とか抜かす剛の者。片や後者は、一向に懲りる気配がないビキニストを、なんとか公然わいせつ罪でムショにぶち込みたい修羅。二人の死闘は今やちょっとした街の名物になりつつある。

「……というか、普通に考えたらバイパーさん、とっくに御用のはずでありますよね?」

「FGAF経由で色々と根回してはる、委員長はんの苦労が目に浮かぶわぁ」

「なのに、そんなバイパーを放ったらかしにして、現在、宿命のライバルは別の犯人(ホシ)にご執心中と……ほんとに相手どんな奴よ?」

「あはは。もしかしたら、別のビキニストだったりしてー」

 などと、バイパーゼロがしれっと言った。

 たちまちホーネットたちは、彼女のほうにバッと向き直る。

 ちょっと待て。今なんと言った? 別の、だと……?

「なに!? ビキニストって増えるの!? まさか感染!?」

「つ、つまりビキニハザードでありますか!? 自分、まだ人間をやめるわけにはっ!」

「すぐワクチンを開発せな! 街も封鎖して拡大を未然に防がな!」

「うあ~ん、みんなの反応がオモシロひどいーっ! っていうか、ホーちゃんなんかもう、どのみち手遅れだよ! この前までエロビキニ着て、『あは~ん♪』とかやってたんだし!」

「あ・れ・はッ、あんたの所為でしょーが! 嫌なこと思い出さすな!」

 先週のことだ。とある事情からホーネットは、学校の皆に多大な迷惑をかけた。

 学校の皆。妖精学園に所属する日本ピクシーズのメンバー。戦闘機モジュールを駆り、ADDと呼ばれる謎の敵と戦う、同じ戦闘機少女(ファイター・ガール)の仲間たち。

 まだ数ヵ月しか籍を置いていないその居場所を、三年前に消えた双子の妹ライノに絡む問題から、ホーネットはあわや早々に失いかけたのである。命令無視に独断先行、本来なら厳罰に処されて然るべき愚行の数々。だが、仲間たちは言ったものだった。「自分たちは軍人でもなければ機械でもない。ただの少女なのだから、当然、償いだって相応であるべきだ」と。

 ゆえに、ホーネットに科せられる罰もまた、実に少女らしい内容となった。

 級友たちの頼みごとを、一つだけなんでも聞く、という至って微笑ましいものに。

「……ええ、甘かったッ……甘かったわよ、あたしが!」

 この程度で赦してもらえるなんて、却って申し訳なさが募るばかり──とか胸を痛めていたのも初めだけ。何しろどいつもこいつも遠慮なく無茶を吹っ掛けてきやがったものだから。

「あぁもう、思い出したらまたムカついてきた! ラプターには変な薄い本を買いに行かされるし、ファントムには中二くさい台詞を一日じゅう朗読させられるし、シャークにはお寒い漫才の相方に任命されるし! 極めつけはあんたよ、バイパー! 『色んなビキニ姿で、写真を撮らせて欲しい』っていったい何!? おかげでこっちは、いい笑いものだったじゃない!」

「と、ホーちゃんは主張しておりますが、実際はどうでしたかな? はい、そこの二人」

「いえ、その……正直、笑うに笑えなかった感じでありまして……」

「寧ろ全員ドン引きでしたえ? 犯罪臭がケミカル兵器並みにキツ過ぎて」

「あ、あんたらには優しさが足りないッ! そこは嘘でもいいからせめて笑い話に──」

 と、そこで再び遠方から声。やはり山田巡査部長のものとおぼしき叫びが通りに谺した。

 騒いでいたホーネットたちも、ぴたりと口を噤んで視線を交わし合う。

「……なに? まさか本当に第二、第三のビキニが現れたとか?」

「さぁて、どうかなー。正味のところはなんともー」

 そう言って頭の後ろで手を組み、口笛なんぞ吹き始めるバイパー。なんだか妙に白々しい風情だ。とまれ、案山子になっているのもなんなので、えっちら歩みだけは再開しながら、

「ま、まあ? 感染とかヤバイ話じゃないなら、別にどうでもいいんだけどさ……」

「そーそー、気にしな~い気にしな~い。それより早く用事を済ませちゃおうよ。このまま行ったら日が暮れるまでに終わんないよ? 遊ぶ時間もなくなっちゃうし」

「次どこであります? ホームセンターで必要品の補充?」

「の前に、確か文房具店に寄らなあかんえ? ほんで、あと本屋で何冊か資料の類も」

 ホーネットは懐からメモ用紙を取り出し、そこに書かれた膨大なリストに溜め息をついた。

「づあ~……まだ山ほどあるじゃない。あんたらが手伝ってくれなかったら、これ全部、あたし一人で運ぶことになってたわけ? 委員長、容赦なしね……」

 そう、今日ホーネットたちが街に訪れたのは他でもない。前述した『先週の失敗の埋め合わせ』の一環なのだ。日本ピクシーズの代表、委員長ことF-15Jイーグルから、「足りなくなった学校の備品を、ぱぱっと調達して来てください」と頼まれた次第だった。

 妖精学園の運営者たるFGAFは、手配すればきちんと物資を送ってくれるものの、書類上の手続きやら何やらで仕事が遅い。専門の機材とかでない限りは、自分たちで勝手に買い揃えて、あとで払いだけ請求したほうが、遥かに手っ取り早く済むわけである。

「でも、業者すら一切頼っちゃ駄目っていうのは、さすがにちょっとスパルタ過ぎだよねー」

「あ~……けど委員長さん、別に意地悪してるとかじゃないと思うでありますよ?」

「そうどすなぁ。最近、あちこち資金繰りが厳しいってぼやいてはったし」

 なるほど。となると今ここで自分が頑張れば、それは級友たちへの償いのみならず、アメリカで女優活動中の義姉──学園の資金工作員(マネー・エージェント)たるF-14トムキャットに対する、ある種の援護射撃にも繋がるというわけか。俄然やる気が出てきて、ホーネットは荷物を持ち直した。

「うっし、きりきり行くわよ! 全部終わったら手伝ってくれたお礼に、なんか好きなもの奢ってあげる! あんたら、何がいいか今のうちに決めときなさい!」

「ジャワ原人が着てたビキニの化石!」

「三ツ星レストランで出される軍用携帯食(ミリメシ)!」

「ゾウが踏んでも壊れひん扇子~♪」

「はい、どれも却下ッ! 不可能なのばっかり言わない!」

 っていうか本当に欲しいのかそんなもの、とホーネットは肩を怒らせ通りを進んでゆく。

 が、その途中で──三度、山田巡査部長の声が。

 さすがに今度は誰も反応しなかったものの、ホーネットの胸には小さなしこりが生まれた。その瞬間、見てしまったからだ。声のした方角を肩越しに顧みたバイパーゼロが、

「──フフ」

 と、別人のような面持ちで、にんまりほくそ笑むのを。

 なんだかミョ~に嫌な予感がしたものである。

 結局、言いつけられた用事を終わらせ、学園に帰る頃には陽もとっぷり暮れていた。

 校門をくぐって執務室に直行し、イーグルから労いの言葉と「これに懲りたら勝手な真似は云々」の軽い小言を頂いて、気づけば時刻はおよそ六時過ぎ。夕食をクラスメイト全員で賑やかに摂り、その後、ホーネットたちが向かった先は、一日の疲れを癒す学園最大の憩いの場である。F-22ラプター風に言うならば「サービスシーンの始まりよ!」といったところか。

 ところで、いきなり話は変わるが──戦闘機少女は個人で絶大な力を持つ。

 それまで世界で用いられていた近代兵器類が、KK能力者の登場と共に悉く『型落ち』扱いを余儀なくされるほど、戦闘機少女(ファイターガール)一人が持つ戦闘力は極まっている。

 純粋な火力、機動性に迅速性、最小ともいえるサイズ、KK能力による高い防御力に、コスト面での優秀さ、etc、etc……と、あらゆる面でケチのつけどころがない。

 けれど反して一点、その管理が非常に困難である、という由々しき問題も有していた。

 もっと簡潔に言ってしまえば、街一つを苦もなく焦土に変えられる戦闘機モジュールという武装の扱いが、現状、完璧に使用者の判断任せとなっているのだ。

 KK能力を外部から抑制する有効な手段が今のところなく、かといって戦闘機少女を厳重な監視下に置けば、緊急時の即応性や当人のメンタルを損なう虞がある。戦闘機少女はADDに対抗する唯一の剣、みだりに切れ味を鈍らせては元の木阿弥だ。

 これは解決し得ない問題──いわば構造欠陥とも呼べるもので、ADDの発生当初、アメリカでは戦闘機少女をなんとか軍の枠組みに収めようと、『第84戦闘攻撃飛行隊(ジェニー・ロジャース)』などの独立性の高い部隊も設立されたが、最終的にこれらも様々な理由で解体されてしまっている。今日(こんにち)、戦闘機少女の扱いが軍組織とは切り離され、FGAFに一任されている遠因でもあった。

 で、長々と説明して要は何が言いたいのかというと、

「……死ぬ……」「手足が痛いよー」「う、うぅう……」「もう、立てまへんえ……」

 ADD迎撃以外の用途では、基本、モジュールの使用は御法度、なのである。

 街なかで召喚するのはもちろん、私用に使うのだって当然厳禁だ。

 なので、両手はおろか身体じゅう荷物で過積載状態に陥っていても、KK波の干渉を利用した裏技──例えば質量の軽減など──を頼るわけにもいかない。現在、ホーネットたちが全身筋肉痛で、ひんひん泣く羽目になっているのは、つまりそういった事情からなのだった。

 場所は大浴場。時刻は八時ちょっと前。

 辺りには湯気と、水音と、キャッキャッウフフの声。

 ピクシーズの皆が裸で戯れるそんな楽園じみた光景に、しかし四人だけ生ける屍が混じって惨憺たる有様を晒しているのだ。我ながら酷いものだとホーネットは嘆息する。

「……ほんと、モジュールが使えればラクだったんだけどね」

「でもさー? 御法度とか言ったって、ワタシたち普段、人目につかない場所なんかじゃ、割と気楽にモジュール喚んじゃってない?」

 馬鹿でかい湯船に浸かり、その縁に突っ伏した体勢で、バイパーゼロが身も蓋もないことを言った。鏡の前で身体を洗っていたホーネットは、「……仕方ないでしょ」とそれに応じる。

「KK能力ってあたしたち戦闘機少女にとっちゃ、手足を動かすのと同じようなものなんだから。目を瞑りながら生活しろ、ってほうが土台無理なのよ」

「でありますな。だからこそ妖精学園でも、戦闘機モジュールの無断使用は表向き禁じられていても、実際はせいぜい委員長からお説教を食らう程度でありますし」

「けど、やっぱ人の目ぇある場所ではマズイどすえ? 大っぴらに規則破んのはあきまへん」

 エフワンとドルフィンが語る。二人とも湯船のなかで、少し神妙な顔つきになっていた。

 そう、戦闘機少女はどうあっても管理し切れないのだ。ゆえに尚更、世論を徒に挑発するような真似だけは控えるべきで、これに関してはFGAFや政府もかなり神経を尖らせている。

 戦闘機少女はあくまでADDと戦う守護者であり、まかり間違っても人類に牙を剥くようなことはない──その暗黙の了解にヒビを入れてはならないからだ。

「そっか……まあ、ワタシたちへの不信って、根強く残ってるらしいしねー」

「でも、モジュールを犯罪に使った人の話とかは、幸い今のところ聞かないでありますな?」

「そうどすなぁ。KK能力者がちんまい時分に、能力を暴走させて事故を起こす──そういう噂なら、たま~にネットとかに転がっておすけど」

 などと口々に語る三人だが、残念なことにホーネットは実例を知っていた。そういった話が公にならないのは、今、ドルフィンが言った『KK能力の暴走』の噂が、ネットにしか転がっていないのと同じ理屈で、つまりはより強固な情報規制が敷かれているからなのだ。

 二年に渡る放浪、世界各地の激戦区を飛び回っていたあの頃、混乱に乗じて悪事を働く戦争犯罪者もなかにはいた。穏便に済んだパターンもあれば、済まなかったパターンもある。

「………………」

 ホーネットはいつしか鏡に映る自分を見詰めていた。

 同年代のなかでもかなり小柄な身体は、ちょっと恥ずかしくなるくらい傷だらけで、ホーネットは知らずその傷の幾つかを指でなぞってしまう。嫌な思い出が蘇ってきそうだった。

 けれど、完全に記憶の海に没するよりも早く、

「ホーちゃん、な~におセンチになってんのかにゃー?」

「ッ……バ、バイパー!? ちょっ、何あんた、コラやめ……ひゃんっ」

 不覚にもヘンな声が洩れてしまったのは、突然、背後からしなだれかかってきたバイパーゼロが、こちらの繊細なあれを鷲掴みにしやがったからだ。いつの間に湯船から出たのやら。

「ぬふ、このフィット感! やはり揉むならロリに限るぜッ!」

「ば、馬鹿! 何を考え……ふぁ!? そ、そこは駄目っ、駄目だってば!?」

「げはは、なかなかイイ声で啼くじゃねーか嬢ちゃん! だけど本当はもっと過激なコト、ご意見番といつもしてんだろ!? 初心なネンネを装ったってそうはいかねえ!」

「あたしとお義姉様はそんないかがわしい関係と違うわあああああッ!」

 なんか妙に慣れた手つきで五指がわきわき蠢き、曇った鏡のなかで自分の控え目なあれが、色々表現しにくい感じであれしてあれになる。再びラプター風に言うならば、「DVD化が待ち遠しいわね!」という具合だ。で、そんなこちらを残り二人は遠巻きにするばかりであり、

「へ、変態であります! 度し難い変態がいるでありますよ、ドルフィン軍曹!」

「……あんま見たらあきまへんえ? 対岸の火事かて飛び火するかもやし」

「助ける気ゼロね、あんたら!? つーか、いい加減にしろッ……この!」

 叫んで強引に振り解いてやれば、その勢いでバイパーゼロが倒れ込み、仰向けの姿勢のまま水浸しの床を滑ってゆく。が、変態はめげない。そのままカーリングのようにタイル敷きの床を高速で移動するや、今度は別の標的に向かって獰猛に牙を剥いたではないか。

「うえ~ん、キッちゃ~ん! ホーちゃんがつれないから慰めて~!」

「きゃ、きゃあ!? なんか滑って……!? た、助けて火龍!」

「バ・イ・パ~ッ! てっめえ、うちの橘花を怯えさすんじゃねえ!」

 クラスの幼女組の一人、試製橘花に襲い掛かったバイパーゼロを、しかしてその従姉であるキ201火龍が迎撃。綺麗な回し蹴りを喰らって、変態が別の方向に滑走してゆく。

「ええい! ならばこの際、ダーちゃんかシャーちゃんで手を打つしか!」

「お断り」

「ってかうち、別にロリってわけじゃないねんで? 胸はぺったんやけどなー」

 と、やはりクラスの幼女組に連なるRQ-3ダークスターが淡々と拒否を口にし、続いてビキニと並ぶ露出強者として知られるF-20タイガーシャークがユル~い一撃。バイパーゼロという名の人間ソリが、浴場の白い床を雪原の如く駆け抜け、性懲りもなく次なる獲物を狙う。

「ならばならばっ、ポークちゃんに一縷の望みをかける! おまけでファンちゃんも!」

「あう……ボ、ボクの名前はホーク……ナイトホーク、だよ?」

「というか、妾の扱いがぶっちぎりで雑じゃありませんこと!? おまけって!」

 そして最後は、おどおどボクッ娘のF-117ナイトホークと、普段はゴスロリ衣装のF-4EJファントムⅡに、駄目押しのダブルキックを見舞われて、再びホーネットたちの元まで戻ってきた。ずしゃあぁ、と細かな水飛沫を上げながら、ヘッドスライディングを決める変態。

 暫しの沈黙を挟んだのち、エフワンとドルフィンが呻く。

「……まるで寄せては返す波のようでありますね?」

「詩的なふうに言うたかて変態どすえ、これ」

「っていうか! あんたはいったい、何がしたいのよ!?」

 よっこいせと起こしてやれば、バイパーゼロはなぜか満足げであり、

「ふふ、見えた……見えたぜ、ホーちゃん。みんなタオルで前は隠してるけど、キックのときに大きく足を振り上げるもんだから、桃源郷が丸見えだったんだぜ……ぐ、ぐふふふ」

「「「「……ッ!?」」」」

 途端、バイパーゼロに蹴りを入れた面々が真っ赤になり、身体に巻いたタオルの上から慌ててある部位を手で押さえた。

「や~、みんな概ね予想どおりだったけど、リューちゃんは意外だったにゃー。普段は強気な俺ッ娘のくせに、ん、なんだコイツは? 乙女じゃないか! みたいな感じで」

「よ、よよよ予想どおりってどういう意味ですの、ちょっと!?」

「だ、だだだ誰が乙女だ、誰が! つーか、その愛称は芸人っぽいからやめろ!」

 ファントムと火龍が噛みつくが、自由人のバイパーゼロはどこ吹く風だ。きょろきょろと広い大浴場を見回すその眼差しは、まさしく自身のコードネームどおり『毒蛇(バイパー)』のそれ。

「よおぉぉおし、次はファルちゃんあたり攻めてみようかぁぁああ……くく、ロリはロリでもロリキョヌー。邪道だろうが構うめえ。腕が鳴るってもん──だじぇ!?」

「……さっきから何をやってるんですか、貴女は」

 バイパーゼロの暴走を止めたのは、今しも脱衣所から出てきた委員長、F-15Jイーグルだった。こう、増長する変態の後頭部にがっちりと、アイアンクローを決めたかたちである。

 彼女の傍らには、危うく次の標的にされかかった、F-16ファイティングファルコンもいた。姉であるイーグル共々、タオルに包まれた胸元は、大変ご立派な盛り上がりを示している。

 そして、そんなおっきい姉妹の背後には、やはりこれから入浴する面々──ATD-X1心神、F-22ラプター、F-35AJライトニングⅡ、F-80シューティングスター、F-8Uクルーセイダーなどが続く。言わずもがな、いずれもホーネットのクラスメイトたちである。

「脱衣所まで聞こえてましたよ、バイパーさん。またやらかしましたね?」

「え、え~っと……」

「裸のつき合いは日本の文化ですけど、過剰なスキンシップはいけないって、前から何度も言ってますよね? ええ、口を酸っぱくして何度も何度も」

 イーグルは不自然なまでに爽やかな笑顔。だが、バイパーゼロの頭を掴む手には露骨に力が込められており、なんかミシミシと不吉な音まで鳴り出した。さすがは曲者揃いの日本ピクシーズを束ねる長、怖いときはそりゃもう怖い。たまらずバイパーゼロも降参して、

「た、助けてホーちゃん! みんな! このままじゃワタシの頭が、スイカ割りのスイカのようにっ!」

「「「「「「「…………なっちゃえば?」」」」」」」

「ひどいッ! 何気にキッちゃんやフォークちゃんまで! ひど過ぎる!」

「当然の報いです。橘花よりも先に火龍の乙女を見るなんて」

「そ、それ、問題発言だと思う……あと、ボクの名前はナイトホーク。惜しかったね」

「惜しいとか惜しくないとかの問題ちゃうで? 満足げにしたらあかん」

 というタイガーシャークのツッコミを合図に、いよいよ折檻が開始されようとしたそのとき。

「──あの」

 ふと、それまで黙っていた心神が口を開いた。

 皆の視線が集中するなか、彼女は続けておずおずと、

「私、前から少し疑問に思ってたことがあるんですけど……いいですか、イパさん?」

「? なんじゃらほい、ココちゃん?」

どうしてお風呂でも、ビキニを着てるんですか?

 しん……と大浴場が静まり返った。

 クラス全員が気まずげに視線を逸らす。イーグルも眉尻を下げてスイカ割りをやめる。

 皆の目はそれぞれ雄弁に「うわ、今更それを訊いちゃうのかー」「これまで敢えて無視してたのに……」「絶対イミフなこと言い出すもんなぁ」と複雑な心中を物語っていた。

 そう、どういうわけかバイパーゼロは、裸一貫がお約束である浴場においてさえ、お馴染みの青いビキニを着用していたのである。

 これは今日だけに限った話ではなく、毎回決まって彼女は入浴の時間にも、平時と同じくビキニを纏っているのだ。それこそ、湯着か何かのように、ごく当たり前の顔をして。

 わざわざ指摘すると面倒なので今まで放置してきたのだが、心神には『触らぬビキニに祟りなし』の精神が理解できなかったらしい。転校して間もないのだから無理もないだろう。

 果たして、そんな無垢な雛鳥に対し、ビキニは言ったものだった。

「よーく訊いてくれました、ココちゃん! ならば答えましょう! ビキニを風呂場でも脱がないのは、つまりビキニが服ではないからなのです!」

「服ではない? それはつまり、『水着だから』ということですか?」

「ノンノン! ビキニは水着でもない! 言うなれば──そう、生き様なんだよ!」

「い、生き様!? 初耳です!」

「だろうね! 世のなか勘違いしてる人も多いから! でも本当だよ? ビキニは生き様! だから都合良く着たり脱いだりはできない! これ、辞書にも載ってる常識だから!」

「で、でも、私、委員長さんから『お風呂は生まれたままの姿で入るものだ』って前に……」

「……ふふ、ココちゃん甘いぜ。砂糖漬けのビキニのように甘い。ワタシの『生まれたままの姿』が、裸だって思ってる時点で大甘さぁ!」

「ッ!? ま、まさか!?」

「そのまさかだよ、可愛い仔猫ちゃん! そう、ワタシは生まれついてのビキニ! 赤ん坊の段階で既にビキニスト! 産声さえ『オギャア』ではなく『ビキニィ』だったという! ゆえにビキニはワタシと一心同体! 汗も掻けば血も流すし、耳を澄ませば声だって!」

「し……信じ、られません……そんな人間が、本当にこの世に……?」

「いるのだよ! ワタシがその証明だ! というわけで、もっと詳しくビキニついて知りたければ、今すぐココちゃんもビキニ教に入るんだ! 今なら入信料はたったの──」

「はいはい、やめやめやめやめっ! スト~~~~~~~ップ!」

 できれば関わり合いになりたくなかったが、これ以上、会話が続くと心神が洗脳されそうだったので、ホーネットが二人のあいだに割って入った。自分の正気的にもそろそろ限界だ。

「? なに、ホーちゃん? 今、ワタシ、大事な営業中なんだけど」

「営業って何よ!? そういう言い方してる時点で、そのビキニ教って営利目的じゃない!? いやいや、それ以前にまずビキニ教の存在からしてさあ!」

「……まあ、名前でだいたいお察しどすけどな」

「……自分、その宗教、知ってるであります。前にちょっと勧誘された憶えが」

 ドルフィンとエフワンが嫌そうに言う。そういえばホーネットも、『ビキニ教』というフレーズには、どことなく聞き憶えがあった。いやまあ、所詮は口から出任せなのだろうが。

「と、とにかく! これ以上、心神に変なこと吹き込まない! ただでさえラプターのオタネタが悪影響になってるんだから!」

「でも、ホーさん。私、ビキニにすごく興味があるんです」

 ホーネットは愕然と背後を振り返った。庇っていた子供にいきなり撃たれた気分だ。周囲の仲間たちも素直過ぎる転校生をまじまじと凝視する。「気は確かか? 死ぬぞ?」と。

 けれど心神は、僅かに思案げにしたのち、小さくかぶりを振って、

「あぁ、いえ……本当はビキニというよりも、たぶんイパさんに興味があるんです、私」

「へ? ワタシに?」

 バイパーゼロが目を丸くする。心神はこくんと頷き、続けて訥々と述べた。

「イパさんみたいに、一つのことにそこまで熱心になれるのって、本当にすごいなぁと思います。あの、それで……イパさんはどうして、そんなにビキニがお好きなんですか?」

「それはほら! やっぱり胸の奥で滾るこの熱き心が、いつもビキニを求めて止まないからさ! って感じに茶化しちゃ駄目? 真面目な話? んー、そっかー」

 バイパーゼロは腰に当てていた手を下ろし、けれど口元には緩い笑みを浮かべたまま、

「ま、ぶっちゃけ理由は色々あるんだけど──うん、一番はパパとママの影響かな?」

「パパさんと、ママさんです?」

「そそ。二人とも娘のワタシから見ても、びっくりのビキニストでね。特にパパなんかビキニを愛し過ぎる余り、周りから不当な迫害を受けてたくらい」

「は、迫害ですか!? それは酷いです!」

「でしょー? なのにポリ公の連中、『いや迫害じゃないから。妥当な逮捕だからこれ』とか言い訳してさー。まったく赦せないよね! だから、ママと一緒にビキニで作ったブラックジャック担いで、よく交番を闇討ちしに行ったもんさ!」

「すごい! もはや反体制どころか、軽くテロリストですね!」

 と目を輝かせる心神。だが、ホーネットを含む周囲の面々は、黙りこくるしかなかった。

 話の内容があんまりだったからではない。ある別の理由から、先刻、心神がバイパーゼロのビキニ姿を指摘したときと同様──いや、それ以上の重たい空気に包まれていたのである。

 それでそれで? と話をせがむ心神はやっぱり何も知らない子供のようで。

 あのねあのね? とエピソードを明かすバイパーは依然けろりとしていて。

 そんな二人を見ていると、横から要らぬ口を挟むことが、どうしてもできなかったのだ。

「……いや、あたしなんてまだマシなほうか……」

 ホーネットは小さく独りごちた。何しろ事情を又聞きで知っているだけで、その当事者というわけではないのだから。

 けれど、実際に二年前『現場』にいたメンバーたちは、さぞや今、いたたまれない心境に置かれているはずだ。事実、エフワンがとうとう堪りかねたように声をあげ、

「し、心神さん! その話はもうやめたほうが──」

「エフワンはん」

 だが、言い差した台詞はすぐに、傍らのドルフィンに遮られた。

 バイパー自身が平然と振る舞っているのに、周りがああだこうだ騒ぐのおかしい──ということなのだろう。エフワンの視線を受けた彼女は、ゆるりとかぶりを振るのみだ。

 やがてエフワンも諦めたように肩を落とし、心神とバイパーゼロの声だけが浴場に響く。

 バイパーゼロは、相変わらず笑顔だった。

 クラスメイトの誰よりも屈託なく、他の表情など知らないかのように。

 少なくともホーネットは、そこになんの違和も見い出せなかった。

 その日の夜、というよりも深夜。

 ホーネットはどうにも寝つけずベッドを抜け出し、学園の敷地内にあるコンビニ──『すかいマート』へ向かった。

 少し宵っ張りな性質なのだ。二年間の戦場暮らしで朝も昼もない厳戒体勢などザラだったから、こうして日本に来たあとも微妙に習慣が抜け切らないでいる。なので、そのつど夜の散歩に出かけたり、ちょっと軽い運動をしたりして、身体を適度に疲れさせるわけだ。

 悪癖といえば悪癖だろう。ある種の職業病にも近い。

 だから、深夜の外出はホーネットにとって、別段珍しいものではなかった。

 そこに暇潰し以上の意味はなく、何か期待があったわけでもない。訪れた先でばったり友人と出くわしたのは、本当にまったくの偶然だったのである。

「あれ? ホーちゃんだ」

「……バイパー」

 窓際の雑誌コーナーを物色していたバイパーゼロが、ちょうど自動ドアをくぐったこちらに手を振ってきた。思いがけない相手と鉢合わせし、一瞬、知らず足が止まってしまったと思う。

 バイパーゼロはやはり、深夜でもお決まりの格好だった。洋上迷彩カラーのビキニを着た戦闘機少女を、しかし店員も慣れているのか怪しむ様子はない。ちなみに、ホーネットは部屋着にパーカーというラフな格好で、それでも冬の夜気はかなりこたえるのだが、ビキニストの我慢強さたるや推して知るべしだろう。身体に幾枚も貼ったホッカイロが涙を誘う。

「へへ、不良なんだー。こんな夜遅くに何やってんのかなぁ?」

 ホーネットは肩を竦め、意外な時刻に遭遇した、意外な人物に近づいて行った。

「そりゃこっちの台詞だって。あんたこそ、こんな時間になんで外を徘徊してんのよ?」

「うっわ、徘徊ってヤな言い方だなー。ワタシ、まるで怪人みたいじゃん」

「大差ないでしょ。怪人ビキニ娘とか、お似合いだと思うけど?」

「うむ、本望だね!」

 いつものように限りなくアホなので、ホーネットもいつものように安心して、

「──で、ほんとに何やってんの? この時間にあんたと会うのは珍しいわよね?」

「あはは、今日はなんでか寝つけなくてねー。そういうホーちゃんは?」

「こっちも似たようなもんかな。ま、あたしの場合はしょっちゅうだけど」

 ホーネットがそう応じれば、バイパーゼロが小首を傾げた。

「んん? ワタシと会うのは珍しい、ってことは、もしかして他のみんなには?」

「たまにね。エフワンが『夜戦の訓練であります!』って演習場で匍匐前進(イモムシ)やってたり、ファントムが『フフ、闇の精気が満ちていますわ』とか痛い遊びしてたり。あと、バンシーには高確率で遭遇するわね。『ピピ、ピピピピ……』って屋上でよく変な電波受信してる」

「お、おお……さすがは妖精学園、問題児ばっかりだぜ……」

「一応、言っとくけど筆頭はあんただから」

 やはりこれも恒例の軽口ではあった。

 次いでホーネットは、ふと雑誌コーナーの向こう、窓越しの光景に目を奪われる。

 昼間、あれほど騒がしかった学園も、今は嘘のように静まり返っていた。

 校舎に体育館、プール、校庭、その他諸々。夜間用の照明は今もきちんと点灯していたが、それでも深閑とした闇に包まれた学園は、いつもどこか新鮮にホーネットの感性を刺激する。

 ホーネットは夜が好きだった。それも慣れ親しんだ場所の夜景が特に。

 なぜ、と問われても分からない。この別世界じみた風景のなかにいれば、自分まで別人になったふうに錯覚して、普段できないこともできる気がするからか。

「……ねえ、バイパー」

「うん?」

「なんで今夜、眠れなかったの?」

 バイパーゼロが雑誌棚に向けていた視線をこちらに寄越す。案の定、「どゆ意味?」とでも言いたげな表情だ。ホーネットは自分でもよく分からない感情のまま続けた。

「あんた、寝つきは良いけど寝起きは悪い、って普段から言ってるじゃない。実際、これまで作戦のとき以外じゃ、夜なかに見たことなかったし。なのに、今日に限ってどうして?」

「んー、特に理由なんてないよ? たまたまじゃないかな」

「……たまたま、ね」

 彼女のこの反応が素なのか演技なのかも、やっぱりホーネットには判断がつかない。

 ただ、どうにも気懸かりなことが胸の奥にあった。いずれ訊かねばならない、と以前から感じていた疑問だ。今夜を逃せば、二度と機会は巡って来ないと、そんな気がしていた。

 なのでホーネットは、よしっ、と密かに腹を括ると、

「──あのさ、バイパー。ちょっとそのへんブラブラしない?」

 そんな誘い文句を口にしていた。

 歩く。

 夜の学校を。月下の園を。

 ビキニと連れ立って、当て所もなくただ歩く。

 馬鹿げて広い校庭を突っ切り、歩道を二人で自由気ままに、やたら広い体育館のなかを覗いて、人気のない校舎にこっそり侵入。今夜は屋上にバンシーの姿はなく、けれど教室でファントムを発見し、「くっ……月よ、なぜ妾を拒むのか……ッ!」とか一人でやっているのが痛過ぎて出るに出られず、その後もあちこちを適当に行ったり来たり戻ったり。

 期せずして始まった深夜の散歩中、バイパーゼロはいつになく上機嫌だった。

「デート、デート♪ ホーちゃんとデート♪」

「こら、騒がないっ。委員長に聞きつけられたら、またお仕置きされるわよ?」

「……ぐふふ、夜陰に乗じてヤることヤッちまえよ、バイパー。今ならこのロリ、油断し切ってるから楽勝だぜ? 草むらに連れ込んで、大人にしちまえYO」

「心の声、筒抜けだっつーの。ってか何? あんたやっぱり、ソッチ系の趣味なわけ?」

「え~、違うよー。女の子じゃないと萌えないのは、ホーちゃんのほうでしょ? ご意見番とばっかりキマシタワー建設しちゃってさー」

「キ、キマシ……?」

「おまけにファルちゃんとか、最近はココちゃんにも唾つけて! なに、キマシタワーを集めてキマシバビロンにしたいの? 天まで届け百合の塔!? くはーっ、その発想が既に!」

「や、意味がさっぱりなんだけど……とにかく、あんたは違うのね?」

「うん、ワタシ二刀流だし。バイパーゼロの『バイ』は、そっちの『バイ』だよ?」

「……どこまでッ……どこまで変態なの、あんたはッ……」

 などと会話しながら歩き、やがてホーネットたちは、とある建物までやって来た。

 最新鋭設備満載の屋内プールである。必定、冬場でも出番が多い施設なのだが、妖精学園の授業は主に訓練が目的だ。このプールも普通の用途では殆ど使われず、被弾して海に墜落した場合や、要救助者を発見した場合──つまり、泳ぎ方や応急処置を学ぶために用いられる。

 つい先日も授業で利用したばかりだから、プールには水が張られたままになっていた。窓から差し込む外の明かりが、水面に反射してきらきら輝いている。おかげで暗い館内でも足元に苦慮することはない。ホーネットはレーンの傍らに立ち、なんとなく苦笑いしてしまった。

「あたし、実はここ苦手なのよねー。嫌な思い出しかないっていうか」

「? そうなの?」

「だって授業中、委員長がいっつも『はい、特大のサイクロンが来ましたよー? まあ大変、溺れちゃう!』とか言って、すぐ機械で高波を発生させたりするじゃない」

 正直、毎回あれで死にかける。いや、そういう訓練なのだから仕方ないけれど。

「ワタシはけっこう楽しいけどなー、あれ」

「そりゃあんたは泳ぐの上手だからね。でも、あたしらにとっちゃ地獄だって」

 クラスのなかでは他に、ドルフィンとタイガーシャークの関西コンビが、名は体を表すが如く泳ぎが達者だ。「うちは華麗なイルカは~ん♪」「なら、うちはサメさんやでー」とプロ顔負けのスイマーぶりを見せてくれる。ちなみに、委員長自身は胸が邪魔なのか微妙なレベルだ。

「このあいだ、火龍が『みんなで今度プールに行こうぜ!』とか言ってたけど、ここを使って遊ぼうって言い出さないのは、絶対、授業のトラウマが蘇るからだと思うわけよ」

「いやいや、学校のプールと『ドリームランド』のプールを比べちゃ──駄目だよ、っと」

 バイパーゼロが言いながら、こちらのすぐ隣に腰掛けた。そして、ふくらはぎまで水に浸けた足をぱしゃぱしゃと動かす。凪いだ水面にじわりと波紋が広がってゆく。

 ビキニ姿もこの場所なら違和感がなく、薄闇のなか水辺に座る金髪の少女は、不覚にもちょっと絵になっていた。いや、本当なら学校のプールはスクール水着が一般的なわけだから、冷静になって考えるとやはり少しおかしな光景なのだが。ただ、夜の独特の雰囲気が為せる業というべきか。今は無粋な常識のほうが麻痺しているようだった。

「「……………………………………」」

 それから、暫らくのあいだ会話が途切れた。

 ホーネットは唇を閉ざし、バイパーゼロも何も言わない。

 迷っている自分と、待っている相手──そんなような構図だったと思う。

 けれど、もうあとには退けなかった。わざわざこんな場所までバイパーゼロを引っ張り出したのだ。彼女も薄々こちらの意図は察しているだろう。何か大事な話があるのかな、ぐらいには。今ここで疑問をぶつけるしかなかった。

 ゆえに、ホーネットは言った。

 さんざん躊躇った末に、消え入りそうな声で。

「……恨んだり、しなかったの?」

誰を?

 間髪入れずそう切り替えされて、ホーネットは高い天井を仰いだ。

 バイパーゼロはこちらを振り返らない。プールの水だけを捉え続けている。だから、ホーネットもそれに倣った。互いにそっぽを向いたまま、淡々と言葉だけを交わしてゆく。

「誰を、っていうか、何を──かな」

「ホーちゃんは?」

「あたしは無理だった。色んなものを恨んじゃった。どうにもならなかったことなのに、周囲とか、お義姉様とか、自分自身とか……嫌になるほど、たくさん恨んだ」

 三年前、妹のライノが戦闘中行方不明(MIA)になった、あのとき。

「ほんとにさ、情けなくなるぐらい、現実を直視できなかった」

「……だから、ワタシはどうだったのかな、って?」

「うん」

 ホーネットが慎重に顎を引けば、バイパーゼロは溜め息をついた。

「ホーちゃんは強いね」

「え?」

 意味が分からず眉を顰める。バイパーゼロは未だバタ足を継続しながら、

「強いよ。だってそれって、『なんとかしたかった』『悔しくてしょうがない』って気持ちの表れでしょ? そういう考え方ができる人は、いつか必ずちゃんと立ち上がるし、もう二度と同じ過ちは犯さないと思う。『次に活かそう』ってまた頑張れると思う」

「先週あんたらに、あれだけ迷惑かけたのに?」

「でも、今はもう大丈夫でしょ? ホーちゃんは辛い過去を克服できたってことだよ」

 それは、自分はまだ克服できていない、という意味なのか。

「ワタシはね、そういう気持ちにもなれなかった」

「………………」

「恨むとか、畜生とか、そういう気力が全然湧いてこなかった。現実にあっさり負けて、理不尽に嫌々納得して、あとはただ笑ってやり過ごしてただけ」

 バイパーが面を上げた。ちらりと確認すれば、その横顔は今も笑んでいる。

「いったい、どっちが正しいんだろうね? 在るがままを受け止めるべきなのか、それとも抗って戦うべきなのか。前者は『寛容で臆病』、後者は『狭量で勇敢』ってところ?」

「……さあね。あたしにも分かんない。分かんないから、あんたに尋ねたのよ」

「そっか。そだね」

 バイパーゼロが、そこでようやく、こちらに振り向いた。

「ところでホーちゃん。今、スマホ持ってる?」

「へ? あ、うん。持ってるけど」

「じゃあ出して」

 と要求されて懐から新調して間もないスマートフォンを取り出す。背面に映画『スカイキャット』のイラストが描かれたタイアップ商品だ。こんな深夜にまで持ち歩いていたのは『緊急時に備えて常に連絡手段を携行すること』という学園の決まりに従ったに過ぎない。

「いや~、防水モデルって言っても、もしもってことがあるからさぁ」

 バイパーゼロはスマホを受け取ると、それを丁寧な手つきで背後の床に置いた。

「さすがにおニューのスマホ壊しちゃったら悪いしねー」

「? あんた、さっきから何を言って──」

「はい、どーん」

 そして、いきなり突き飛ばされた。

 スマホを置いたバイパーゼロの手が、こちらの背に回り込み勢い良く前へ。揺蕩うプールの水のなかへ。悲鳴をあげる暇さえ許さずに、ホーネットの矮躯を突き落とした。

 盛大に水飛沫が上がる。頭から水中に突っ込む。わけが分からないまま踠く。

 屋内プールは年中無休で活躍する学内施設だから、館内それ自体が熱を逃がさない構造になっているのか、温度調整がなくとも幸い水温はあまり低くなかった。

 が、突然の事態に混乱する心までは如何ともし難い。すぐには身体の感覚を掴むことができず、『力を抜けば人は浮く』という常識を思い出すのに、恥ずかしながら幾ぶん時間を要してしまった。おまけに、ようやく水面から顔を出せば、当の元凶は大笑していやがるし。

「何すんだこらぁぁああああああああああッッッ!」

「あはははははははははははははは!」

 更に腹を抱えてひとくさり笑ったあと、バイパーゼロは唐突に立ち上がるや、

「──とうっ」

 とか掛け声をあげて、自分もプールのなかへ。

 綺麗なフォームで飛び込んで、暫らくぶくぶくやったのち、ホーネットのそばに浮かんでくる。なぜか心地良さげに大の字の姿勢で。いったい何がしたいんだコイツは。

 よし、兎にも角にも一発殴ろう。そう考えて目の前のビキニを捕まえようとしたが、

「ありがとね、ホーちゃん。気を遣ってくれて」

「………………」

 そんなふうに機先を制されて、振り上げた拳の行き場がなくなる。

「お風呂でココちゃんとあんな話して、それで夜ほっつき歩いてたもんだから、ワタシのこと心配してくれたんでしょ? だから、ありがとね」

「……別に。ただ、あたしのほうがあんたに用があっただけよ」

「そう? なら、それでもいいけどね」

 バイパーゼロが仰臥したまま泳ぎ出す。見蕩れるほどの無駄のない動き。ドルフィンの舞うような軽やかさとは別の、機敏で力強い前に進むための背泳ぎ。

「でもさぁ……みんな、ちょっと気を回し過ぎだよ。だってもう二年だよ?」

「まだ二年、でしょ」

「ホーちゃんは誰から話を聞いたの? やっぱりエフワンちゃんとかドルちゃん?」

「うん。転校して来てすぐにね」

 ビキニが辺りを遊泳する。ホーネットもいつしか仰向けになってプールに漂っていた。

「別にさ、ワタシだけじゃないじゃない? クラスのみんなは大なり小なり、それぞれ問題を抱えてて……親がいない子だって、ぜんぜん珍しくない。フツーだよ、フツー」

 そう、珍しくない。例えばホーネットもそうだし、義姉のトムキャットだってそうだ。イーグルとファルコンの姉妹も同じ。親類が他界している者は、実のところクラスに相当数いる。

 何しろこんなご時世だ。ADDの突然の襲来、それに連なる事故・犯罪。そういった諸々で近しい人を亡くすパターンは、不謹慎だが不幸としてはありきたりなのだろう。

 だから、バイパーゼロも普段は、別段、何を感じさせることもない。

 パパとママ。

 既に失われているその二人のことを、自分でもよく日常会話に絡めてくる。

 そういうとき、クラスの皆もただ話題に乗っかり、さらりと流してそれで終わりだ。何がどうなるわけでもない。本人が気にしていないなら、と周りも無難な対応に努める。

 ただ──心神は何も知らない。

 ホーネットも弁えているだけで実感は伴わない。

 自分たちには推し量れない何かが、本当はもっとたくさんあるのだろう。

 単に『もういない』と一言で纏めてはいけない何かが。事情を知らない心神が突っ込んだ質問をすれば、途端にクラスの空気が凝ってしまうような何かが。

 当事者たちしか分かち合えない何かが。

 あるのだろう、きっと。

 だって二年前だ。バイパーゼロが両親を亡くしたのは、たったの二年前。幼いとき死に別れたとか、生まれる前からいなかったとか、そういうことではないのだ。

 二年前、既にADDの侵攻は本格化していて、妖精学園もとっくに稼動状態にあった。

 その頃はまだ、ホーネットと心神だけでなく他にもメンバーが何人か欠けていたそうだが、当のバイパーゼロ自身はもう日本ピクシーズの一員として働いていた。エフワンやドルフィンらと共に、この国の守護を担う一翼として、立派にADDと戦い続けていた。

 なのに。

 バイパーゼロのパパとママは、ADDの襲撃で命を落としたのだ。

 その意味を、ホーネットは噛み締める。かつて間に合わなかった自分──妹を救えなかった姉(レガシー)と、この底抜けに明るい友人を重ねてしまって。

「大丈夫だよ、ホーちゃん」

 果たして、バイパーゼロが告げてきた。

「ワタシは大丈夫。さっきも言ったでしょ? 気にし過ぎだって」

「でも……」

「ホーちゃんはさ、先週、自分がヘマしちゃったから、ちょっと過敏になってるんだよ。パパとママのこと少し詳しく訊かれたぐらいで、いきなり調子崩したりなんかしないって。ワタシの神経の図太さは知ってるでしょ? ほらほら、いつもどおりのすこぶる笑顔っ!」

「…………ええ、そうね」

 だからこそ心配なのよ、とはさすがに口にできない。

 大浴場で不意に思ってしまったのだ。心神が矢継ぎ早に質問を浴びせ、エフワンが耐えかねたように声をあげかけ、二年前、両親を失った直後のバイパーゼロが『どんな状態』だったのか、伝え聞いていた話をふと想起して──初めて、思ってしまったのである。

 バイパーゼロの態度に何も不自然さはなかったがゆえに。

 この子の場合、『いつもどおりの笑顔』にこそ疑念を向けるべきではないのか、と。

「ワタシは、大丈夫だよ」

「…………」

 こちらの懸念を見透かしたような、再三の念押し。

 こういうとき、彼女が自分より二歳年上なのだという事実を、一五歳のホーネットは強く意識する。だからもう何も言えなくなって、二人でぷかぷかとプールに浮かび続けた。

 時間の流れが、どこかおかしい。

 手足の感覚も曖昧だ。水に長く浸かりすぎたから、というわけではないだろう。

 寒い、のではなく、遠い。

 なぜだか分からないが、たまらなくそんな気がした。

「あぁ──」

 バイパーゼロは今もまだ朗らかに笑んでいて、

「なんだか、このまま泡になって溶けちゃいそうだね」

 そんな人魚姫みたいなことを口にした。

 ホーネットはあとになって思う。

 やはりこのとき、もっとはっきりと質しておくべきだったのだ、と。

 バイパーゼロの笑顔を、言動を、心意を、よく確めておくべきだったのだ、と。

 分かっていたはずなのに……人が執拗に繰り返す『大丈夫』はまったくアテにならないと、先週の一件から身を以って理解していたはずなのに。

 どうして胸に抱いた一抹の不安を、棚上げになどしてしまったのだろう?

 ホーネットの後悔は、この、僅か数日後にやって来た。

『え、えっと……き、緊急連絡です! 西日本の特定地域で、さきほどKK波の増大を確認! せ、戦闘機少女の皆さんは、速やかにブリーフィングルームに、集まってください!』

 放課後の学園に警報が鳴り響く。管制室からナイトホークのたどたどしい声が届く。

 スクランブル要請。

 平穏が閉ざされ、戦場が開かれる、その合図。

 妖精学園はただちに基地として機能し始め、緊迫した空気のなかを戦闘機少女たちが駆ける。

 F/A-18ホーネットもまた然りだ。道すがらクラスメイトの何人かと合流し、そのまま皆でブリーフィングルームに直行する。扉を開けて室内に飛び込むと、もう他の面子はだいたい揃っていた。バイパーゼロ、エフワン、ドルフィン、チームメイト三人の姿もある。

「……ごめん、ちょっと遅れた!」

 謝罪の一言と共に手近な席につけば、巨大なモニターの前に佇むイーグルと、情報収集を主任務とするダークスターが、手馴れた様子で状況を説明してゆく。

 観測されたKK波のレベルは『極大』。ADDで間違いないのは無論のこと、戦艦級のそれである可能性が高いという。高い、と暈した表現が為されたのは、KK波のパターンが未知のものだったため。先日、ステルス能力を有したディアナ級ADD──現在、便宜上『S型』と呼称されている──が登場したように、またしても新型の虞があるらしい。

「また新型? このところしょっちゅうね……」

 最近、ADDの動きが甚だ怪しい。発生頻度の増加、戦闘中の奇怪な行動、そして次々に現れる未確認機(アンノウン)。つい一年前までは見られなかった傾向だ。敵の攻勢が活発になっている、という単純な話でもない気がする。だが、初見の相手・不測の事態・セオリー無視の状況、という並びは、いずれにせよ最悪には違いなかった。これから戦いが激化する先触れかもしれない。

 続けて、モニターに戦術マップが映し出される。先の放送にあったとおり、西日本のどこかだろう。ただ、戦艦級のADDが出没した割に、地図には海が見当たらなかった。

 代わりに映っているあれは──湖、だろうか?

 たぶん相当な大きさだと思う。正直、アメリカ生まれのホーネットには、どこの地域のどんな湖なのかは分からない。だから、イーグルが地名を告げてくれるのを待ったのだが、

「…………」

 なぜか、彼女は手元の資料に目をやり、逡巡するような素振りを見せた。

 一拍、二拍、三拍。とやけに長い間が空く。皆も何事かと疑問符を浮かべ始める。

 けれど、イーグルが意を決して口を開くよりも先に、

「────なんで!?」

 ガタン! とやかましく椅子を蹴立て、突然、誰かが悲鳴じみた声をあげた。

 普段とあまりにもかけ離れたその風情に、一瞬、ホーネットは声の主が誰だか分からなかったほどだ。けれど居並ぶ級友たちのなか、エフワンとドルフィンに挟まれ、最前列の席で一人、立ち上がっているビキニ姿を見れば、いくら頭で否定してみても事実は変わらなかった。

「なんで……なんでよッ、どうしてまた!?」

 バイパーゼロだ。

 叫んでいる。

 いつも馬鹿みたいにはしゃいで、すぐに物事を茶化す癖があって、でもその能天気さで何度もチームを救ってくれた彼女が、今、凄まじい勢いで何かに対して怒鳴り散らしている。

 両隣のエフワンとドルフィンは、唖然と友人を見上げていた。クラスメイトたちもただ顎を落とすばかりだ。唯一、モニター前のイーグルだけが目を伏せていた。

 だから、だろう。

 バイパーゼロとイーグルの反応が引き金になり、

「あ、れ……?」

クラスメイトの何人かが、ようやく事態を把握し始める。

「……ま、待って欲しいであります。あの場所って確か」「……ッ、おい! まさかそういうことか!?」「う、嘘でしょ!? だってそんな!」「あぁ、数奇どすな……あんまりやわぁ」

 驚愕の声が連鎖する。室内にどよめきが広がってゆく。バイパーゼロは怒りに震えながら立ち竦み、イーグルはどこか痛ましげに顔を歪ませる。

 事ここに至れば、ホーネットも理解していた。

 なぜバイパーゼロが憤っているのか。どうして皆が騒然となっているのか。

「ど、どうしたんでしょう、皆さん? イパさんもあんなに怒って……」

 ただ一人、未だ事情がよく呑み込めていないのは心神で、彼女はホーネットのすぐそばに腰を下ろしていた。ブリーフィングルームに来る途中で一緒になり、それから急ぎドア付近のこの席に着いたためである。他にはラプターやライトニングの姿も近くにあった。

「──たぶん、あれがバイパーの『故郷』なんだわ」

 ホーネットが短くそう言えば、心神が当惑したように目を瞬かせる。

「故郷、ですか? イパさんの? でも、画面に映ってるあの場所、建物なんて一軒も……」

「街があったそうよ」

「?」

「二年前、ADDの襲撃で地図上から消えた……決壊したダムの水に呑み込まれて、バイパーの親や住民たちと一緒に失われた、小さな街があそこに」

 心神の表情がたちどころに凍りつく。ホーネットはモニター上に切り取られた、例の湖を食い入るように見詰め続けた。

 否。

 湖にしか見えない、戦禍の爪痕を。

 バイパーゼロの故郷であり、彼女のパパとママ、友人や知人、思い出などが眠る墓所を。

「あそこはね、心神。二年前、バイパーとピクシーズの皆が護れなかった場所なのよ」

 闇があった。

 ただただ、深い闇が。ひたすら濃密な闇が。

 どことも知れぬ。どことも言えぬ。

 何もかもが曖昧で、ひどく歪んでいる。

 あらゆる意味と価値が消失し、単なる闇に置き換わる座標。

 一筋の光も差さない、他の色を一切認めない、無地なる漆黒。

 しかし、その不可思議な場所に──あるとき質量が現れる。

 いや、あるとき、という表現もおかしいのか。ここには時間という概念さえないのだから。

 ゆえにソレは、今この瞬間に生まれたようにも、もっと遥か昔から在ったようにも、空間自体が異物化したようにも思われた。

 何者かの意思。

 例え姿形はなくとも、確かに居ると知れる、紛れもない『個』の気配。

 そして、次の変化は出し抜けで、何より劇的であった。

「──なんのつもりだ?」

 声。

 あり得ざる意思の持ち主が、闇に声という概念を作ったのだ。

 声質は女性のもので艶やかだが、口調は男性的でどこか厳めしい。いや、それらも真っ当な仕組みで生じているかは定かではないのだ。こんな考察になんの意味があろう。

 だが、果たして驚くべきことに、いらえがあった。

「何が?」

 こちらも声は女性のそれだが、先のものとは明らかに違う。もっと幼げで弾むような声色だった。別の質量、別の意思、二つ目の『個』。どうもそういうことらしい。

「惚けるな」

 男性的な口調の主が吐き捨てる。

「くだらん真似をして、いったい何が目的だ?」

「目的なんて大それたものないわ。わたしはただ仕事をしただけよ」

「仕事?」

「そ、お仕事。貴女が崇拝する女神(アイドル)サマのお手伝いね」

「おためごかしを。もし本当にそうならば、まず私の元へ話が来ている」

 闇が微かに震える。どうやら一方が笑ったようだ。

「あはっ、すっごい自信ね! ちょっと妬けちゃう……ずっと前から訊こうと思ってたけど、貴女、どうしてそんなに彼女にぞっこんなの? やっぱり、そっち系の趣味なわけ?」

「下種の勘繰りで我々の関係を汚すな。私は彼女の志に賛同しているだけだ」

「つまり、啓蒙されちゃった、ってわけね。貴女、もし彼女と出会ってなかったら、変な宗教にでも嵌まってたんじゃない? 最近、多いらしいわよ、カルトなやつ」

「黙れ。放言につき合う気はない」

 と、やはり小揺るぎもせず一方は切って捨て、

「まったく、下手な子供よりも手の掛かる……あんな場所に『穴』を作ってくれたおかげで、また無駄に『連中』を招くことになったぞ。我々の使命を理解できているのだろうな?」

「ええ、もちろん。でもそれはそれ、やる以上はたまには派手に、そのうえ楽しく行きたいじゃない? ただでさえわたしたち、コソコソするばっかりなんだし」

「…………」

「わたしはどっちかというと、貴女が崇め奉ってる女神(アイドル)より、もう一方の偶像(アイドル)のほうと気が合うのよ。だから、彼女の助力を陰からこっそりと……ね」

 暫時の静寂。

 のち、またしても闇が震えた。

「笑わせる。それも結局はただの方便だろうに」

「え?」

「我々に出来るのはせいぜい小さな『穴』を作る程度。『門』を開くなど夢のまた夢だ。その程度で彼女らに力添えできるはずもない。分かっているはずだぞ」

「…………」

「興味を引きたい相手は、もっと別にいるのだろう?」

 三度、闇が震えた。ただし今度は笑みのそれではない。明白な怒気が周囲に伝播したのだ。

 それまで稚気に富んでいた一方の気配が、無言のまま張り詰めたものを増大させてゆく。そして一方は変わらず動じないまま、吹きつける猛烈な激情の渦を受け止め続ける。

 一髪千鈞を引く空気──だが、それも直後には霧散した。

 男性的な口調をしたほうが突然、フッとその気配を薄れさせたからだ。

「……行くの?」

「ああ。最悪のケースも考えられる。誰かが目を光らせておくべきだ」

「なんだったら、わたしも──」

「不要だ。直に顔を合わせて爆発でもされたら、そのときは私が止めなければならなくなる」

「………………」

「我々が大手を振って動くのはまだ早い。これを機に少し辛抱というものを覚えろ」

 遠ざかってゆく一方に、闇のなかに残った一方が、最後にこんな問いかけを発した。

「もし、あの学園にいる誰かの首が折れたら?」

「……人手が不足しているからな。能力如何によっては考えてもいい──が、しかしな」

 今まで厳粛さを保っていた一方の声が、そこで初めて女性らしい柔らかみを帯びた。つくづく困った奴だ、とでも言いたげな風情で以って重ねて、

「お前、それはどちらを期待しての質問だ?」

 今度はいらえはなかった。

 間もなく一方の気配が立ち去る。もう一方の気配は暫らくその場に存在していたが、それもやがては滲むように『個』を薄れさせていった。

 世界が無意味を取り戻す。あとにはただ闇だけが残る。

 これまでと同じように、これからも同じように。

 闇だけが。

 この世界は………………………………………………………………………………………………………。

〈To be continued〉